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【チェコ旅行記】世界遺産の街・プラハ城-Pražský hrad-

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上から美しきプラハの街並みを堪能したら、今度はプラハ城です。もちろんプラハ城の入り口にはしっかりと衛兵が立っています。以前に日本のテレビでプラハを紹介していた時に、この衛兵に関しても取り上げていましたね。当然の事ですが1年間365日、毎日、衛兵交換式は行われていますし、時間でしっかり代わっています。衛兵になる条件などもテレビではやっていましたね。この辺りはほぼ観光客ばかりです。チェコ人のプラハが地元の人はそうは来ないでしょう(笑)ここがプラハ城の入り口で中に入ると本当に立派なプラハ城があります。ここはかつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国)の大統領府のある場所でもあるみたいです。さらにプラハ城は世界でも最も大きい城の一つであり(「ギネスブック」によると、最も古くて大きい城である)、長さは約570m、平均の幅は約130mらしいです。素晴らしいです。
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中に入ると、こんな感じでドーンとデカデカとあります。素晴らしいものがありましたね、城ではなく大聖堂であればケルン大聖堂も素晴らしいものがありますが、こちらはこちらで素晴らしいものがありましたね。また、ここでプラハ城の概要を引用しておきます。

プラハ城の歴史は9世紀(870年)にさかのぼる。壁に囲まれた最初の建築物は、聖母マリア教会であった。聖イジーと聖ヴィートのバシリカは、10世紀の前半に建設された。ボヘミアで最初の修道院は城の中、聖イジー教会の隣に建設された。ロマネスク様式の宮殿がここに建てられたのは、12世紀のことである。14世紀には、ボヘミアの黄金時代を築いた神聖ローマ皇帝カール4世(=ボヘミア国王カレル1世)の支配の下、王宮がゴシック様式で再建され、城砦として強化された。聖ヴィートのロトンドとバシリカの代わりに、広大なゴシック教会が建設されたが、完成までにはほぼ6世紀かかった。
ボヘミアの宗教改革者とされ、ローマ教会によって火刑に処せられたヤン・フスの一派によるフス戦争の間とその後の10年、城は空位のままであった。1485年、ウラースロー2世(ヴラジスラフ・ヤゲロンスキー)が城の再建に着手した。広々としたヴラジスラフ・ホールがベネディクト・レジェによって王宮に建設された。その後、城の北側には新しく防御の塔も建設された。1541年の大火で城は甚大な被害を受け、ハプスブルク家の支配下では、いくつか新しくルネサンス様式の建物が建設された。フェルディナント1世はベルヴェデーレを妻アンナのために夏の離宮として建設した。
ルドルフ2世はプラハ城を主たる居城とした。ルドルフは宮殿の北翼を建設し、そこにスペイン・ホールを作って、自分の貴重な芸術コレクションを展示した。1618年に起きた2度目のプラハ窓外投擲事件は白山の戦いの契機となり、戦闘の間にプラハ城は荒れ果てた。三十年戦争の過程で1648年、ルドルフ2世のコレクションは、多くの作品がスウェーデンによる略奪に遭った。
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プラハ城の再建としては、18世紀後半に女帝マリア・テレジア(ボヘミア女王)が行ったものが最後となる。オーストリア皇帝フェルディナント1世(=ボヘミア王フェルディナント5世)は1848年の退位後、プラハ城を居城とした。1918年、チェコスロバキア共和国の成立とともに、プラハ城には大統領府が置かれた。新王宮と庭園はスロベニアの建築家ジョゼ・プレクニク(Jože Plečnik)により修復された。

第二次世界大戦のさなか、ナチスによるチェコスロバキア占有中、プラハ城はラインハルト・ハイドリヒの本拠地となり、「ボヘミアとモラヴィアのライヒ公安」の本拠地となった。ラインハルトはボヘミアの王冠を頭上に載せたといわれ、彼自身も王のように振舞った。ボヘミアの王冠には、それを頭上に載せた簒奪者には1年以内に死が訪れるという伝説があったが[1] 、権力を握って1年も経たぬうちにハイドリヒは暗殺された。
チェコスロバキア解放の後は、プラハ城はチェコスロバキア社会主義共和国の共産主義政府が置かれた。ビロード革命の際、「プラハの春」の指導者だったアレクサンデル・ドゥプチェクはヴァーツラフ広場に面したバルコニーに現れ、「ドゥプチェクを城へ!」と叫ぶ民主化デモの群衆の声を聞いた。彼らの声が、プラハ城にある国家指導者への椅子へとドゥプチェクを導き、彼は民衆にとって民主主義と自由のシンボルとなった
チェコスロバキアがチェコ共和国とスロバキア共和国に別れた後、プラハ城には新しくチェコ共和国の大統領府が置かれている。初代大統領トマーシュ・マサリクがプレクニクに依頼したのと同様、ヴァーツラフ・ハヴェル大統領はポスト共産主義建築家としてプラハ城の改修に取り組むようボジェク・シーペク(Bořek Šípek)に委託、城のギャラリーの絵も修繕された。
DSCN4394.jpgプラハ城には、ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂、ロマネスク様式の聖イジー教会のバシリカと修道院、そして宮殿、庭園、尖塔が含まれており、先の千年間のあらゆる建築様式を実態的にあらわしている。
城内の大部分は観光客に開かれており、現在、城の建物には国立美術館ボヘミアバロック部門、国立美術館ヨーロッパ絵画・中世部門、チェコの歴史について展示する国立歴史博物館、おもちゃ博物館、ルドルフ2世の収蔵品をもとにしたプラハ城絵画美術館といったいくつかの博物館が存在する。
また、夏のシェイクスピア演劇祭がプラハ城の中庭で定期的に開催されている。
プラハ城のある周辺はフラッチャニ(城の丘)と呼ばれている。プラハ全市の主な観光名所は深夜0時までライトアップされるが、フラッチャニに浮かぶライトアップされたプラハ城の姿は美しい。しかしプラハの夏至前後はサマータイムの影響もあり夜の22時近くにならないと完全に暗くならない。夜の治安も比較的安定しているプラハ市は、夜に名所を巡って歩く観光客も多い。プラハの他の名所のライトアップも見たいのなら早く夜がやってくる秋こそ観光にふさわしい。
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