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【ドイツ旅行記】ダッハウ強制収容所③-KZ-Gedenkstaette Dachau-

FI2621099_1E.jpgダッハウのこの区域は、強制収容所の傍に経済・民事幹部学校やSSの医学校などのSSの施設があった。この時期の強制収容所は、「保護拘禁所」と呼ばれ、全体の半分も占めていなかった。ダッハウはキリスト教聖職者のための収容所という側面も持っていた。カトリック教会に残る記録によれば少なくとも3000人におよぶ修道者、助祭、司祭、司教が収容されていたとされる。1944年8月に、女性用の収容所がダッハウ強制収容所内に開設された。最初の一団は、アウシュヴィッツ・ビルケナウから来た。19人の女性監視員だけがダッハウで監視を行い、殆どは解放まで勤めていた。戦争終結が近付くにつれ、ダッハウの状況はだんだんと悪化していった。



FI2621099_2E.jpg連合軍がドイツに迫ると、ドイツは囚人の解放を防ぐことを意図し、前線近くの強制収容所の囚人を内地の収容所に移した。移送元の収容所からの移送者が続々とダッハウに到着した。食事や水が殆どあるいは全くない状況で移送が終わると、囚人は消耗して衰弱し半死半生となる者も珍しくなかった。過重収容、貧弱な衛生状態、乏しい食料そして囚人の衰弱を原因とするチフスの蔓延が深刻な問題となった。前線から続く新たな移送で、収容所はすぐに囚人で溢れかえり、衛生状態は人間の尊厳が守られる状況ではなくなっていた。1944年末から解放の日までに15,000人が死亡したが、その犠牲者の約半数がダッハウ強制収容所の囚人であった。ロシア人捕虜500人は銃撃隊により処刑された。
FI2621099_3E.jpg1945年4月27日に、国際赤十字委員会代表のヴィクター・モーラーは収容所内に立ち入ることが許され、食料を配布した。同じ日の夕方、囚人がブッヒェンヴァルト(強制収容所)から到着した。出発時は4,480人から4,800人いたものの移送中に多くが死亡し、到着まで生き延びることができたのは800人だけであった。2300体を越える遺体は列車内やその周囲にそのまま放置された。収容所の最後の所長エドゥアルト・ヴァイター親衛隊中佐(彼は1942年9月から1943年11月まで収容所所長だったマルティン・ヴァイス親衛隊中佐の後任と考えられている)は既に4月26日に逃亡していた。降伏の前日1945年4月28日には収容所長官マルティン・ヴァイスを始めとして収容所の守備隊や職員の多くがダッハウ強制収容所を離れていた。
FI2621099_4E.jpg同日、赤十字の代表ヴィクター・モーラーは、収容者の集団脱走とチフスの流行が周辺地域に広まることを懸念し、収容所に残ったヴァイスの副官ヨハネス・オットー中尉に対して、収容所を放棄せずアメリカ軍が到着するまで囚人を外に出さないために守備隊を配置しておくように説得したが、オットーはそれに応じず逃亡した。

と言う事でダッハウ強制収容所-KZ-Gedenkstaette Dachau-の解説文を引用していまいましたが。こういった収容所はドイツの人の為だけでなく世界中の人の為にも残しておくべきであり1人でも多くの人が訪れ自分の目で見るべきだと思いますね。
FI2621099_5E.jpgしっかし、このダッハウ強制収容所-KZ-Gedenkstaette Dachau-でも強烈でしたので、ポーランドのクラクフ郊外にあるアウシュビッツ収容所に行ったら本当に言葉に詰まるでしょう。他にもチェコにあるTerezin(テレジン)強制収容所やラトビアのリガにもあったはずです。強制収容所もそうですが、日本人の自分としては同じ日本人としてリトアニアで戦時中に多くのユダヤ人の命を救ったと言われている命のビザを発給したと言う杉原千畝氏の功績も含めリトアニアには興味あります。記念碑もある様ですしヴィリニュスには「スギハラ通り」という通りもあるみたいです。天皇皇后両陛下が2007年にリトアニア含めバルト三国に訪問した時の歓迎は凄まじいものがありましたしね。
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